2015年1月25日日曜日

自己責任自己責任と言うな

以前も同じようなことがあった。
危険を承知しながら行って捕まった同胞に対しての日本の世論である。捕まった彼自身も何が起こっても自分の責任だとビデオに残して送っている。知人を救うための決死の行動だったという。生まれたばかりの子供と妻をおいてそんなことができるのだから、覚悟も相当なものがあったにちがいない。だが、世論が自己責任ということをことさら言うことにやはり違和感を感じる。なんら解決策が見つからない状況のなかで、自己責任だからしょうがない、と言い放つことによって自らの無力感、なすがままにせざるを得ないことに対する負い目を軽くしたいということだろう。如何にも村社会特有の内向きの議論ではないか。

命の危険を招いた、いまの状況を作ったのは確かにご本人だ。それは間違いない。しかし一番悪いのはイスラム国であり、ご本人もまた被害者なのである。自己責任だから仕方ないね、と言って済む話ではない。

前のブログでも書いたが今の中東の問題は大半が欧米(特にイギリス、フランス、アメリカ)が下手な関わりをしたことによって生み出されたものだ。日本は本来あまり関わりのないことだった。アメリカの侵略戦争に加担したあたりから、過激派は日本もまたあいつらの仲間ではないのかと思い始めたということなのだろう。このことは背景として大きい。

テロは絶対の悪であり、許すことはできない。毅然として向かわなくてはいけない。しかし、テロの起こる背景を考えて行動しなければ、自体は悪化するばかりである。人道支援はおおいに結構。しかし記者会見でイスラム国と戦う国を支援するためと言うことによって、安倍首相は日本は敵だよとわざわざ宣言したようなものである。邦人が当の相手に拘束されていることを知りながらこれをやってしまう、この不注意さが、残念だ。

最悪なのはアメリカなどに組して、やっているやられたらやり返す式の方法を日本もとることだ。そうすればテロは確実に日本本土に上陸するだろう。安倍首相は、集団的自衛権を閣議決定し、戦後初めて日本を戦争ができる国にした。今回のことでまた、日本人は狙われているからと、憲法改正の世論操作に利用しないか、とても心配だ。テロとの戦いと国家間の戦争は次元の違うものだ。だが、情緒的なところを利用されやすい日本人のこと、まんまと乗せられてしまうあやうさを危惧する。 彼のもとで日本が取り返しのきかない間違いをおこさないことを祈りたい。