2011年4月27日水曜日

2011.4.22-25 ロンドン その5

大英博物館
これだけすごいものが集まっていて、入場料が只なのだ。
すごいお宝を半ば勝手にもって来ちゃったのだから、別な意味でもすごい。
もっとも、エジプトやギリシャから来た人たちからお金を取るのはとてもまずい様な気がするぞ。
入場料取らない代わりにあちこちに募金箱があって、相場的には大体5ポンド位を入れている。
お金もかからないし、広いし、家族づれで行くには一番いい場所かもしれない。
南方熊楠の伝記で、熊楠が滞英中に、研究のため入り浸っていたという話があったのを思い出した。 
民俗学に興味があるひとにはたまらないのだと思う。

ラムセス像

巨大なスカラベ

ギリシアの壺 兵士がやっているゲームは
もちろん囲碁ではない

ギリシアの壺 頭に手を当てているのは葬式で
悲しみを表す仕草という
なんかユーモラスだ

トゲを抜く子供
こういう生活感があるものの方が
堂々たる彫像より面白い
アッシリア 王族のライオン狩り
ずいぶん危険な狩りだけど
ライオンって弓矢で本当に倒せるのだろうか?
痛そう!

正面外観
上の三角の部分の端には亀やワニがいる

2011.4.22-25 ロンドン その4

映画「ハムナプトラ」でおなじみタワーブリッヂ。 展望橋の入場料は8ポンド。
19世紀末に完成した跳ね橋だ。 ロンドン塔のすぐ近くにある。

外観 ロンドン塔側からみた

普通に歩いて行くとタワー部分の下に展望橋への入り口がある

タワー間を2本の展望橋がつないでいる
所々にスライド式で開けられる小窓があり、
写真を撮れるようになっている

展望橋から見たロンドン塔 西側
こうしてみると周りは近代的なビルに囲まれているのが分かる

橋の東側を展望
手前に見える近代的な球状の建物はロンドン市庁舎
国会議事堂とのギャップが激しい

今は電気仕掛けだけど
昔は機関車と同じで蒸気で動かしていた
これは当時の様子を伝える展示物
隣の部屋にはまさに石炭を燃やす巨大な釜の展示もあった


2011.4.22-25 ロンドン その3

バッキンガム宮殿
意外に門から宮殿正面までの距離が短い。
赤坂の迎賓館はもっと前庭が広かったように思う。
ウィリアムズ王子の結婚式を間近に控えて、宮殿の周りには報道陣用のベースがこしらえてあった。
上に翻っているユニオンジャックは女王の在所を示しているとのこと。
門から建物までの距離が意外に近い

衛兵は左右にいるが時々こうして動く
大変な仕事だ!よく見るとみんなあどけない子供の顔をしている
若くないと体がもたないのだろう

ちゃんと看板も立ってる
やっぱり観光資源?

正面の門についている紋章

真正面 普通の警官らしき人たちが衛兵とは別にいる

2011.4.22-25 ロンドン その2

次に訪れたのはロンドン塔。 入場料はガイドブック付きで24.79ポンド。
Yeomanという近衛兵の格好をしたガイドが案内してくれるが、訛りがきついので上級者向きかも知れない。
もともと11世紀にイギリスを征服したウイリアム王が建てた要塞兼、居城で、当時としてはタワーを連ねたような建築はとても珍しかったのだそうだ。
最初の造営から400年くらいの間に増築を繰り返し、造幣所や天文台としても使われたが、一番有名たらしめているのは、政敵や、反逆者を捕らえておく監獄、処刑場としても使われたことだろう。 
夫のヘンリー8世に殺されたアン王女の亡霊がさまよっているという話は有名だ。 権力者というのは地位と我が身を守るためには、どんなことでもするのだということがよく分かる場所だ。
イギリス人がよくbloodyという形容詞を何にでもつけたがるのは、これと何か関係があるのだろうか?
現在は、王室の宝物を保管している重要な場所(戴冠式や、国会の開会式で女王が被る王冠もここに保管されている)であり、また戦争博物館や王室所有の教会がある。
地下鉄タワーヒル駅を降りるとすぐにロンドン塔への入り口が

Traitor's Gate
政治犯は船でここに着いたという

名前の由来でもあるTower
要するにこういう円形の塔を結ぶように建物が造られている
入場料にはガイドツアーも含まれる
Yeoman(近衛兵)の格好をしたおじさん(手前)が
Bloodyな話をユーモアたっぷりに話してくれるぞ
前方に見える建物はその名もBloody Tower
その前に並んでいる人たちの先には拷問部屋がある

元々居城部分だったところは今は武具などの
展示コーナーになっている。 
日本から送られた甲冑など世界中の武具もあった。
それしてもこれ、大事な処だというのはわかるが、、
ちょっと卑猥な感じもする

外観

2011.4.22-25 ロンドン その1

イースターの4連休を利用してロンドンに遊びに行った。
最初に訪れたのは国会議事堂。 15ポンドで英語のガイド付きツアーに参加。 (1ポンドは現在TTSで135円位)
空港の様にセキュリティーチェックがあり、顔写真の付いたVisitor Passをもらう。

BBCの中継やネットで、Question Timeをよくみるが、実際に議場を見た印象はとにかく狭い。 ガイドさんの話では、議員全員が座るスペースがなく、一部の議員はいつも立っているのだそうだ。 日本人の感覚ではちょっとありえない。 あと、エリザベス女王は国会のオープニングには毎回やってきてスピーチをする。 その際の控えの間や、スピーチをするHouse of Lords(貴族院)にある玉座をみたけれど、ビロードがすり切れていて本当にここに座るのかしらと思った。 
イギリスの議会民主主義は日本を始め多くの国の手本になっているけれど、始まってしばらくの間は、国王が勝手に議会を開き、自分の都合の良いように国会を動かしていた時期もあって、いわゆるHouse of Commons(庶民院)と国王の間の緊張関係というか駆け引きが長い間続き、その伝統が今でも引き継がれている。 古いしきたりをずっと守っているのがイギリスらしいのか。 テレビの中継だと一見ののしりあいにしか見えないQuestion Timeも、そういう話を聞いたあとだと、もっと楽しめるようになりそうだ。


映画「シャーロックホームズ」でホームズが川に飛び込むのはこのあたりだったろうか?

ウエストミンスターホール 一番古くから残っている部分14世紀からそのままの姿
ガイドツアーがスタートする場所。 議会の前身がおかれたのもここだったとのこと。
また、裁判が行われていたこともある。 写真撮影が許されるのはここまで。

中庭からビッグベンをのぞむ

2011年4月19日火曜日

2011.4.18 バーゼルトーナメント

バーゼルに来たのは去年の3月末。
早いもので丸一年が過ぎた。
4月16,17日、2回目のバーゼルの囲碁トーナメントに参加した。
今年は絶不調で全敗。
以前は勝てていた格下の相手にも、負けた。
韓国人の先生(元院生)と話していて、やはり力以前に気持ち的に負けていると感じた。
碁は大体1時間以上かかるゲームなので、途中で色々まずい手を打ったり窮地に陥ることが多いのだけどそのたびに動揺していまいつい気持ちの余裕がなくなる。
余裕がなくなると、見えるはずの手が見えなくなる。
またミスをやるの繰り返しで、結局大差が付いてしまう。
詰め碁とかあまりやってないので読む力が付いていないのもあるけれど、今回のはそれ以前の問題だ。
そして今日、毎週月曜日の対局。 昨日の反省で最初から攻めに徹した。
序盤、相手がおかしな手を打ってくれたので、それを間髪入れずに咎めると思いの外稼げた。
その後、例によって、絶体絶命のピンチになったのが、コウを仕掛けてこれも勝ちきり、最終的には快勝することができた。
長い間勝てなかった相手なので、余計にうれしい。
やっぱり勝負事というのは、必死さが大事なのだと改めて感じる。

2011年4月9日土曜日

2011.4.9 ネイチャー社説拙訳 (3月31日付)

私の感想
福島の放射能汚染による長期的な健康被害については、正確なところは誰も分からず、20年以上経ったチェルノブイリ近隣の被爆者の状況を研究するべきであると言っているのには賛成。

また政府や原子力産業は包み隠さず説明責任を果たすべきと言うのも当然である。
ただ、全体的に原子力の必要性は養護する立場であるし、技術的な改善と、世界的な危機管理システムをとることで乗り切ろうと主張している点は、賛成できない。
 原子力事故の処理は何世代もかかる難事業であること、莫大なお金がかかること、作業に当たる人が深刻な健康被害を被ること、これらを論証しておいて、だからこそリスクの明確化と対策を確りやるという、論理的にはおかしくはないけれど、最後の結論はやっぱり科学者の価値観なのかなと思う。

核分裂という分野は、科学者にとってはとても魅力的なテーマなのに違いない。 20世紀初頭にアインシュタインがE=mc2 を発表したあと、これをきっかけに初めての核分裂の研究が行われ、原爆が作られ、太陽の仕組みが説明され、さらには宇宙の起源ビッグバンにまで話が広がった。 科学者にとって核分裂やそれを応用した原子力技術の発展は、まさに神の領域に近づくことであり、とても魅力的なのだろう。 彼らは決してあきらめない。 オッペンハイマーのように原爆を作っておいてあとで、広島、長崎の惨状をみて悔いたひとはいるけれど、科学者というのは純粋な人であればあるほど、往々にしてよほどの厳しい現実を突きつけられない限り、価値観をあらためるのが難しいのかもしれない。 このあたりを考えると、宗教家と科学者の差は実は小さいのかもしれない。

私は今回の事故をきっかけに完璧に原子力は信用できなくなった。 少なくとも国中活断層だらけの日本では、リスクが大きすぎると思うし、起こってしまったあとの処置が難しすぎる。 普通なら東京電力は倒産するところだ。 もはやいったいだれが、原子力は安全で、しかも環境に優しくて、効率のいいエネルギーなどと言い続けられるだろうか? ひとたびこういう事故が起これば、すべてぶちこわしである。 やはり徐々に代替エネルギー(例えばLPGほか数種)に切り替えていくべきだと私は思う。
あと気になるのは発展途上国での原子力に対する関心が高く、中国を初めとする国が多くの建設計画を計画、遂行しているというところ。 ゾッとする話だ。 
だからこの前、日本に勝手に押しかけてきたサルコジの主張しているように、国際的な基準を設けるとか、社説の記者がいうようにIAEAがもっと力をもって指導監督するようにしたいということになる。 しかし、これはあくまで推進派の勝手な思いであって、なぜやめる方向に行けないの理解に苦しむ。 結局、科学者は安全な生活よりは科学技術の発展を思い、業界はお金のことを優先して考えて来たと言うことではないのか。 ネイチャーの社説のようにリスクを見直そうとか、管理体制を強化しようとかいうのは、あくまで自分たちの利害を守ろうとしているのが主な動機なのではと思えてくる。 

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以下、イギリスの科学雑誌ネイチャーの社説、Lessons from the pastの拙訳。
英文オリジナルはこちら

福島の原子炉を押さえ込むための闘いが今も続いているなか、日本を含む世界中でその政治的な影響が広がっている。 安全性を保証するようなレポートが先日来発表されているにも関わらず、明らかにおびただしい量の放射性元素が発電所から放たれている事は紛れもない事実だ。 また加熱した燃料棒を冷やすために働いている一部の作業者が深刻な被爆に直面するのも事実である。 これに対する反応として、幾つかの政府は自国の原子力政策の安全性と将来を見直している。 福島の問題が原発に反対する人たちを後押ししているのは間違いない。

災害は地球規模で波及しており、先週、福島から漏れ出たヨウ素131が世界最悪の原子力災害を引き起こした彼の地チェルノブイリのあるウクライナでも検出された。 25年前、チェルノブイリでの誤った安全性試験が大規模な爆発と火災を引き起こし、何トンもの放射性物質をヨーロッパ中にまき散らし、人々の原子力エネルギーに対する信頼をずたずたにした。

福島と同様、チェルノブイリの影響は広範囲にわたっていた。 近隣の国々でのソビエトのこの災害への対応に対する怒りが、ソ連の凋落にも拍車を掛けた。 数千人の子供たちが汚染されたミルクを飲んで甲状腺ガンにかかった。 ウクライナとベラルーシの財政からは何十億ドルものお金が治療や健康被害に対する補償に振り向けられた。 未だに毎日のように約3,500人の労働者が、さらなる放出を防ぐために働いており、4つの原子炉の解体作業は漸く始まったばかりである。 原子力災害からの復興は何世代もかかるので、チェルノブイリが単なる記憶として思い出されるのは今からさらに50年もあとのことになるだろう。

レポートの562ページにあるように、チェルノブイリの復旧作業は諸国が費用負担を渋るようになってペースが落ちている。 破壊された4つの原子炉は、あの事故の起こった数ヶ月間に慌てふためいてでたらめに作ったコンクリートの石棺の下に、未だに横たわっている。 補修を行っているので今のところ安全に保たれてはいるが、壁は錆が筋状に覆い、屋根の修理はお粗末な状態だ。 エンジニアは原子炉を安全に解体できるよう遮蔽用のアーチ屋根を作りたいと考えているが、それにはざっと14億ドルかかる。

チェルノブイリシェルター基金(欧州復興開発銀行の管理運営する)がこれまでに30の寄贈団体から8億ドルの資金を集めている。 しかし、資金不足のためプロジェクトは何年も遅れており、2015年に完了を目指す目標は国際社会からの更なる資金なしには難しいだろう。

福島の災害の結果として、このお金の流れは改善されるだろう。 原子力事故は国際的な反響を呼ぶし、人々の原子力発電に対する不信は問題を悪化するに任せることを許さない。 安全な原子力発電を推進することは世界共通の利害に関わることだが、同時に問題が起こったとき、古い技術が起こす災害に適切に対処することも同様である。 そして問題はこれからも起こる。

今日、いくつもの国で新しい原子力発電所が建設されている。 中国だけでも現在計画にある65の原子炉のほぼ半数はすでに建設が進んでおり、発展途上国の原子力技術にたいする関心は高まりつつある。 民間の原子力拡大を支持する人は、これらの国々の一部は、チェルノブイリ級の原子力事故に直面した場合、単独で対処することが出来ないことを理解するべきである。

新たに原子炉を建てようとしている国民は特に、IAEAなどの団体に投資し、世界中にある新旧の原子炉の安全性を担保するべきだし、最悪の事態に十分に備えることが必要である。 そして政治家や原子力産業は不信を感じている国民との関係に再度立ち返るべきである。 イギリスのような国で新しく原子炉を建てる際にかかるコストがいったいいくらコストがかかるのかオープンにし、透明性を示すことが最初だろう。 もし建設に税金による助成が必要なのだとすればそういうべきだ。 原子力産業に携わる人たちが国民に原子力が安全だという彼らの保証を信じて欲しいのなら、原子力技術に関するどのような側面についても不明瞭にごまかしたり、いいわけをするような時期ではもはやない。

政府はチェルノブイリや福島と言った事故による予想される健康被害について、明確な説明を示すよう努力すべきである。 極度の放射線量にさらされた英雄的な発電所の作業者、またチェルノブイリの事故で未だに甲状腺ガンに苦しんでいる人々をみるに、危険性は明確すぎるほど明らかである。 しかし、もっと微妙な健康への影響はうんと捉えにくい。 低レベルの被爆は循環器疾患、乳がんその他の病気のリスクを増す可能性があるらしいが、同時にどこまでの被爆なら大丈夫なのかという安全上の基準値がないのも事実である。 状況を明確にするためにも、ごく低レベルの放射線に被曝した人々にはどういう影響がでるのか、多くの人々を対象とした研究が必要で、チェルノブイリはそういうデータを提供できるだろう。 そのような研究に資金を出すことはチェルノブイリの放射線に影響を受けた人々にとっても重要なことである、しかし同時に原子力発電の将来に付いての疑問にも答えてくれるであろう。

人々は当然、日本から流れてくる低レベルの放射能が安全かどうか聞くはずである。 現在できる最善の答えは、「たぶん」ということでしかない。 あと25年以上は経ってみないと、もっと確かな答えは見つかりはしないだろう。

2011年4月8日金曜日

2011.4.7 Comments on the interview

Someone asked for my opinions on the Swiss interview I introduced below.
Here is my response to her.
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OK, I will try my best.
Recently I read a book on history of Showa era written by Kazutoshi Hando.
On the book, he pointed out that we Japanese have a tendency to close eyes to a great risk and believe that would not happen (because we don't want them to happen).
He is referring to the last war.  Militarists and politicians who led Japan into the war knew there was a great risk of inviting the US into the war if they do not withdraw from China and start invasion to Far East Asian countries.
They knew the Tripartite Pact with Germany and Italy would immediately increase the friction with the US.   And they knew, once the war started, they have a slim chance to win.
In the end, however, they concluded that would not happen just because if that happened, they would be in a real big trouble.
The same on the Soviet invasion.  Top militarists knew that Soviet is likely to break the antiwar pact and start invasion while Japan had not been able to settle the war front in the south.
But again they concluded this would not happen because they did not want to see it happen. And everybody knows what actually happened.

Now coming back to the topic, many people (except for those who blindly believed what nuclear energy advocates said) knew that nuclear power plant is not entirely safe .
Also some people could have imagined what could be the risks to have nuclear power plant where earthquake causes a major disaster in almost every few decades.
But somehow they concluded this would not going to happen, partly because they trusted on those "multiple fail proof counter measures" but mainly because they did not like to think about it because if it happens we would be in a big trouble.
The same mentality as above mentioned.

Another episode from the same book.
After 2.3million people got killed in the war, the Prime Minister Higashikuni said in his address to the Diet that all the Japanese are to blame.
This remark helped those who were really responsible off the hook. (Many were sentenced to death or given a life at the International Military Tribunal for the Far East but they were done by the Allies of World War II.  Prior to this, Japanese government tried to convene a court by itself so they can give more favorable rulings to the war criminals but this attempt failed.)
Obviously most blame should go to the militarists and politicians who practically led the war.  Yet many people accepted his view.

The Swiss writer pointed out Japanese people does not indulge themselves in finger pointing the responsible or participating the massive protest rallies because they feel discussing the horrible tragedy will get them nowhere.
And this attitude would likely to let go the politicians (namely LDP administrations in the past years) who have led the Japan's nuclear policy and TEPCO where most of the blame  should go to.

2011年4月6日水曜日

2011.4.5 原子力発電所の問題

昨夜、ドイツ人の友達にからまれた。
なぜ日本では大規模なデモや抗議集会が行われていないんだ、これだけ生活に大きな影響を受けているのになぜ怒らないのか?
原子力発電所から超高濃度の汚染水が海に垂れ流しにされていることが分かったという報道を受けての話。
彼はバーゼル囲碁クラブの席亭で、何度も日本を訪れたことがある大の日本贔屓。
歯がゆくてしょうがないとのことだった。

日本人が困難なときに互いに助けあうということが大変な美徳であると賞賛されている一方で、その我慢強さが時として、問題を曖昧にしてしまったり、責任の所在を曖昧にしていまうというところがあるのではないか。 スイスのある知日派の作家、アドルフ・ムシュク氏がインタビューに答えている記事を読んだ。 私には彼の見方を否定することはできない。

「福島を天災のごとく扱おうとしている」

ムシュク氏は原子力は人間の超えてはいけない領域であると示唆している。

(リンク先のインタビューの和訳はかなりレベルが低いので誤解を与えるかもしれませんが、ムシュク氏は原発反対の立場から意見を述べています。 日本人の美徳と性癖とを合わせてユニークな分析をしているのであえて紹介しました)

2011.4.3 バーゼル日本人会の募金活動

当地の日本人会の呼びかけで日曜の午後、募金活動に参加した。
日本人学校の子供たちと一緒に中央駅の前で歌を歌いながらやったところ、
3時間ほどで約90万円ほど集まった。
前週の土曜日にもほぼ丸一日かかってこの倍くらいだったというから、合計で2百5,6十万円集めたことになるらしい。
私には初めての経験でよく分からないけども、他の人の話では路上の募金活動としては非常にいい結果だったと聞いている。
子供からお年寄りまで、幅広い人が協力してくれて、日の丸の旗に寄せ書きも添えられた。
少しでも被災地の人たちの助けになればと思う。
会社の同僚たちも募金に協力してくれたり、募金のお礼に渡す鶴を折り紙で折るのを手伝ってくれたりした。
本当にありがたいことだと思う。
バーゼルやチューリッヒでは今月、チャリティコンサートがいくつも開かれる予定だ。
携帯で友人が撮ってくれた
不鮮明なのがかえってよかった