2011年4月9日土曜日

2011.4.9 ネイチャー社説拙訳 (3月31日付)

私の感想
福島の放射能汚染による長期的な健康被害については、正確なところは誰も分からず、20年以上経ったチェルノブイリ近隣の被爆者の状況を研究するべきであると言っているのには賛成。

また政府や原子力産業は包み隠さず説明責任を果たすべきと言うのも当然である。
ただ、全体的に原子力の必要性は養護する立場であるし、技術的な改善と、世界的な危機管理システムをとることで乗り切ろうと主張している点は、賛成できない。
 原子力事故の処理は何世代もかかる難事業であること、莫大なお金がかかること、作業に当たる人が深刻な健康被害を被ること、これらを論証しておいて、だからこそリスクの明確化と対策を確りやるという、論理的にはおかしくはないけれど、最後の結論はやっぱり科学者の価値観なのかなと思う。

核分裂という分野は、科学者にとってはとても魅力的なテーマなのに違いない。 20世紀初頭にアインシュタインがE=mc2 を発表したあと、これをきっかけに初めての核分裂の研究が行われ、原爆が作られ、太陽の仕組みが説明され、さらには宇宙の起源ビッグバンにまで話が広がった。 科学者にとって核分裂やそれを応用した原子力技術の発展は、まさに神の領域に近づくことであり、とても魅力的なのだろう。 彼らは決してあきらめない。 オッペンハイマーのように原爆を作っておいてあとで、広島、長崎の惨状をみて悔いたひとはいるけれど、科学者というのは純粋な人であればあるほど、往々にしてよほどの厳しい現実を突きつけられない限り、価値観をあらためるのが難しいのかもしれない。 このあたりを考えると、宗教家と科学者の差は実は小さいのかもしれない。

私は今回の事故をきっかけに完璧に原子力は信用できなくなった。 少なくとも国中活断層だらけの日本では、リスクが大きすぎると思うし、起こってしまったあとの処置が難しすぎる。 普通なら東京電力は倒産するところだ。 もはやいったいだれが、原子力は安全で、しかも環境に優しくて、効率のいいエネルギーなどと言い続けられるだろうか? ひとたびこういう事故が起これば、すべてぶちこわしである。 やはり徐々に代替エネルギー(例えばLPGほか数種)に切り替えていくべきだと私は思う。
あと気になるのは発展途上国での原子力に対する関心が高く、中国を初めとする国が多くの建設計画を計画、遂行しているというところ。 ゾッとする話だ。 
だからこの前、日本に勝手に押しかけてきたサルコジの主張しているように、国際的な基準を設けるとか、社説の記者がいうようにIAEAがもっと力をもって指導監督するようにしたいということになる。 しかし、これはあくまで推進派の勝手な思いであって、なぜやめる方向に行けないの理解に苦しむ。 結局、科学者は安全な生活よりは科学技術の発展を思い、業界はお金のことを優先して考えて来たと言うことではないのか。 ネイチャーの社説のようにリスクを見直そうとか、管理体制を強化しようとかいうのは、あくまで自分たちの利害を守ろうとしているのが主な動機なのではと思えてくる。 

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以下、イギリスの科学雑誌ネイチャーの社説、Lessons from the pastの拙訳。
英文オリジナルはこちら

福島の原子炉を押さえ込むための闘いが今も続いているなか、日本を含む世界中でその政治的な影響が広がっている。 安全性を保証するようなレポートが先日来発表されているにも関わらず、明らかにおびただしい量の放射性元素が発電所から放たれている事は紛れもない事実だ。 また加熱した燃料棒を冷やすために働いている一部の作業者が深刻な被爆に直面するのも事実である。 これに対する反応として、幾つかの政府は自国の原子力政策の安全性と将来を見直している。 福島の問題が原発に反対する人たちを後押ししているのは間違いない。

災害は地球規模で波及しており、先週、福島から漏れ出たヨウ素131が世界最悪の原子力災害を引き起こした彼の地チェルノブイリのあるウクライナでも検出された。 25年前、チェルノブイリでの誤った安全性試験が大規模な爆発と火災を引き起こし、何トンもの放射性物質をヨーロッパ中にまき散らし、人々の原子力エネルギーに対する信頼をずたずたにした。

福島と同様、チェルノブイリの影響は広範囲にわたっていた。 近隣の国々でのソビエトのこの災害への対応に対する怒りが、ソ連の凋落にも拍車を掛けた。 数千人の子供たちが汚染されたミルクを飲んで甲状腺ガンにかかった。 ウクライナとベラルーシの財政からは何十億ドルものお金が治療や健康被害に対する補償に振り向けられた。 未だに毎日のように約3,500人の労働者が、さらなる放出を防ぐために働いており、4つの原子炉の解体作業は漸く始まったばかりである。 原子力災害からの復興は何世代もかかるので、チェルノブイリが単なる記憶として思い出されるのは今からさらに50年もあとのことになるだろう。

レポートの562ページにあるように、チェルノブイリの復旧作業は諸国が費用負担を渋るようになってペースが落ちている。 破壊された4つの原子炉は、あの事故の起こった数ヶ月間に慌てふためいてでたらめに作ったコンクリートの石棺の下に、未だに横たわっている。 補修を行っているので今のところ安全に保たれてはいるが、壁は錆が筋状に覆い、屋根の修理はお粗末な状態だ。 エンジニアは原子炉を安全に解体できるよう遮蔽用のアーチ屋根を作りたいと考えているが、それにはざっと14億ドルかかる。

チェルノブイリシェルター基金(欧州復興開発銀行の管理運営する)がこれまでに30の寄贈団体から8億ドルの資金を集めている。 しかし、資金不足のためプロジェクトは何年も遅れており、2015年に完了を目指す目標は国際社会からの更なる資金なしには難しいだろう。

福島の災害の結果として、このお金の流れは改善されるだろう。 原子力事故は国際的な反響を呼ぶし、人々の原子力発電に対する不信は問題を悪化するに任せることを許さない。 安全な原子力発電を推進することは世界共通の利害に関わることだが、同時に問題が起こったとき、古い技術が起こす災害に適切に対処することも同様である。 そして問題はこれからも起こる。

今日、いくつもの国で新しい原子力発電所が建設されている。 中国だけでも現在計画にある65の原子炉のほぼ半数はすでに建設が進んでおり、発展途上国の原子力技術にたいする関心は高まりつつある。 民間の原子力拡大を支持する人は、これらの国々の一部は、チェルノブイリ級の原子力事故に直面した場合、単独で対処することが出来ないことを理解するべきである。

新たに原子炉を建てようとしている国民は特に、IAEAなどの団体に投資し、世界中にある新旧の原子炉の安全性を担保するべきだし、最悪の事態に十分に備えることが必要である。 そして政治家や原子力産業は不信を感じている国民との関係に再度立ち返るべきである。 イギリスのような国で新しく原子炉を建てる際にかかるコストがいったいいくらコストがかかるのかオープンにし、透明性を示すことが最初だろう。 もし建設に税金による助成が必要なのだとすればそういうべきだ。 原子力産業に携わる人たちが国民に原子力が安全だという彼らの保証を信じて欲しいのなら、原子力技術に関するどのような側面についても不明瞭にごまかしたり、いいわけをするような時期ではもはやない。

政府はチェルノブイリや福島と言った事故による予想される健康被害について、明確な説明を示すよう努力すべきである。 極度の放射線量にさらされた英雄的な発電所の作業者、またチェルノブイリの事故で未だに甲状腺ガンに苦しんでいる人々をみるに、危険性は明確すぎるほど明らかである。 しかし、もっと微妙な健康への影響はうんと捉えにくい。 低レベルの被爆は循環器疾患、乳がんその他の病気のリスクを増す可能性があるらしいが、同時にどこまでの被爆なら大丈夫なのかという安全上の基準値がないのも事実である。 状況を明確にするためにも、ごく低レベルの放射線に被曝した人々にはどういう影響がでるのか、多くの人々を対象とした研究が必要で、チェルノブイリはそういうデータを提供できるだろう。 そのような研究に資金を出すことはチェルノブイリの放射線に影響を受けた人々にとっても重要なことである、しかし同時に原子力発電の将来に付いての疑問にも答えてくれるであろう。

人々は当然、日本から流れてくる低レベルの放射能が安全かどうか聞くはずである。 現在できる最善の答えは、「たぶん」ということでしかない。 あと25年以上は経ってみないと、もっと確かな答えは見つかりはしないだろう。

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