2011年7月13日水曜日

2011.7.12 管たたきと原発問題

管たたきが止まらない。
今度はストレステストをめぐる混乱に対する批判が中心になっている。
私は一刻も早く脱原発を決めてもらいたいと思っているが、直ちにすべて止められないのだとすれば、早急に安全確認と対策は立てられなければならない。
ストレステスト自体は誠に当たり前のことで、必ずやらなければならないことだ。
正しいこと決めて批判されているのがさっぱり分からない。
なるほど、方針の決定が遅い。 遅いことによって混乱は起こっている。
しかし、もともとやらなければいけないのだ。
海江田は原発推進派だ。 何の根拠もなく、安全だから安全だということで再稼働を訴えてまわった。 
彼こそが批判されるべき相手なのに、なぜか、政治家もマスコミも正しいことを決めた首相のみを批判する。

早々と再稼働を認めて、ストレステストの導入を決めた管首相に噛みついた岸本玄海町長は、実弟が原発から54億も工事を受注している建設会社の社長なのだという。 
町長になってから受注が増えたわけではないからやましいことはないと、開き直っているらしいが、ふざけた話だ。 
原発を抱える町の町長として、身内にそういう人がいるのなら、そもそも町長選挙に出ること自体はばかられる。 
こういう人たちが原発を支え、住民の安全を犠牲にして私腹を肥やす。 
何が苦渋の決断か。 原発の恐ろしさは放射能だけではない。 
こういうわるいやつらがヒルの様に、原子力行政にへばりついている。 
これが一番こまったことなのだ。

管首相の盆暗ぶりを批判するのはたやすい。 
が、前に書いたように、自民政権だったとしてもっとマシな対応が出来たかというと、まずそんなことはなかったと確信している。 
だって歴史が証明しているではないか。 過去50年、危機対応でほめられた首相など一人もいない。
なぜもっとうまい危機管理が出来ないかというと、それは長年自民党が行ってきた原子力行政にそもそも体制上の欠陥があったからだ。
原発の歴史は、お粗末な安全対策と冷や汗ものの事故の連続だったではないか。
バケツで臨界事故を起こしたニュースが世界を駆け巡ったとき、私はたまたまスイスに出張中だった。 
日本に帰ってきてから事故の顛末を知って愕然としたことをよく覚えている。 
福島をまるで自然災害のように扱おうとする人もいる。
「想定外の自然災害による不幸な事故だった。」 嘘をつけ!! 
電源喪失時の危険性、密集して炉を林立させることの危険性、津波、地震、何年も前に指摘されていながらなにも対策を打ってこなかったことが、今に繋がっているのだ。
津波は天災だが、福島は人災なのだ。

こういういい加減なことを長年繰り返してきて、最後のとどめが福島だったのだ。
その責は自民党が一手に引き受けるべき重大な管理責任だ。  
自民党の政治家は国民に謝罪し、全員懺悔してから偉そうなことを言うべきだ。 
なぜマスコミはこのことをちゃんと追求しないのか?

最近の世論調査などでは管政権はすでに死にたいになっている。
原因は原発だけではないだろう。 震災復興に対する対応への不満も相当にある。
決断の遅さはひどいものだ。
将来に対する不安や、苦難の中の生活を生きている被災者の人からすれば当然だと思う。
しかし、だからこそ党派を超えた協力が必要なのだ。 
足を引っ張るだけの役割しかしてない野党の政治家は、何のために政治家になったのかよく考え、改めるべきだろう。
未曾有の危機を政争にしか利用せず、自らの責任を内省することもなしに、ただ政府の足を引っ張ることを優先する政治家にはすぐにやめてもらいたい。

 満身創痍の菅さんは今何をやろうとしているのだろうか? 
ぬらりくらりと攻撃を避けながらも、脱原発への道筋をつけてくれるのなら、5年でも10年でも首相をやってもらって構わない。 
しかし、もし言われているように単に政治家としてのメンツや、首相の座への執着だけなのだとすれば、もう何の価値もない人だ。 
が、そうは思いたくない。 菅さんは薬害の問題での素晴らしい実績をもっている。 
政治家にも良心のある人がいるのだと思ったものだ。 
もうここまで来てあと何も失うものもないのだから、英断と、勇気をもって本当の政治の力を見せて欲しいものだ。

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