2010年11月30日火曜日

2010.11.29 お弁当

今日のお弁当

いつもはもっと手を抜くのだけど、今回はちゃんと作ってみた。

大根はどこのスーパーでも売ってるわけではないけれど、たまに見かける。
本当は鶏肉を使いたかったけれど、どういう訳か店においているのは大体ささみや胸肉なのでパサパサすると思ってツナ缶で代用。 
大根の手前は日本から持ち込んだ「どんこ」(干しシイタケ)を甘辛く煮たもの。
ゆで卵の隣は、インゲンを茹でて、すりごまとマヨネーズ、醤油などであえたもの。
あと柿、ハム。 春巻きだけは冷凍食品をオーブンで焼いたもの。
ご飯にのり玉はやっぱりお弁当の定番かな。 真ん中に座っているのは南高梅。

【トリビア】
ちなみに、「南高梅」というのは梅干しのブランド名。
全国の梅を調査してこの梅を最優秀品種と認定した校(和歌山県みなべ町)の先生にちなんで、南高梅としたらしい。 
一説には、この種を育てた、南部川村の農家、高田さんにちなんだ、もしくはその両方によるという説もある。

2010年11月27日土曜日

2010.11.27 初雪

バーゼルは昨日から氷点下、初雪に見舞われている。

日本ではなかなか11月に雪を見ることはないので内心ちょっとうれしい。

自宅アパートから




















2010年11月20日土曜日

2010.11.19 誕生日

スイスにおける誕生日は、祝ってもらう人が周りの人たちに対して大盤振る舞いをする。
以前、退職するときも退職する人が自分でパーティーの準備をする話をしたけれど、誕生日も同じなのだ。
慣例に従い、私もサンドウィッチとザッハトルテを20数個用意。 結構な散財になった。

朝、メールで「Z'nüni・バースデイ・サンドイッチを持ってきたから取りに来てね」、と案内を出すとそのうちにみんながやってきて、お祝いを言ってサンドイッチを持って行く。 

"Z'nüni" (ツニューニ)というのはスイスの方言で、9時ごろに食べる軽い軽食のこと。 農家や、肉体労働に従事している人など、朝早く例えば、6時位から仕事をしている人たちが、ちょうど9時位にお腹が空くので間食をする習慣のことだ。 

よく自分のことを知ってくれている同僚はワインをプレゼントしてくれたり、インターネットをみて作ったという折り紙の花を持ってきてくれたりした。 ちょっと勝手は違うけれど、ここはいい人たちが多いのだ。 (感謝)

夜は会社主催の、二百数十名が参加するパーティに参加。 といっても、もちろん私の誕生祝いではない。 たまたま、日本で言う忘年会が前倒しでこの時期に行われ、それもたまたま私の誕生日に当たってしまったのだ。 お陰でずいぶん忙しい誕生日になった。
田舎の農場を借り切って大きなテントを立て、外で焼いているバーベキューを持ってきては、みんなで食事をする。 食べ放題、飲み放題、それと舞台では、カウボーイのコスチュームを着けたおじさんやおばさんが、踊るパフォーマンス。 社員の中にバンドをやっている人がいて、そのショーもあり手作り感のあるとても楽しいイベントだった。

私の44回目の誕生日は、おそらく3日分くらいのカロリーを摂取し、同僚の車で自宅まで送ってもらうことで終わった。  また走らなくては、、、

2010年11月14日日曜日

2010.11.13 Northern Territories

Somebody told me, after reading my blog on Nov. 5, if what I wrote is right Japan should demand Russia return all the northern islands instead of just four.  His point is that in 1875 those islands had been peacefully ceded to Japan from Russia.  Japan did not took them by force.

He is absolutely right.  Only the south of Karafuto island was ceded as a result of Russo-Japan War. And so if the interpretation of Potsdam Declaration (which Japan accepted) counts this island as one of the territories that Japan took 'by aggression' in the past and so required to give up, it might well have been returned to Russia.   But other northern islands (all Kurile islands) were ceded to Japan in peace.  Why the hell Soviet or current Russia could justify themselves to claim them as their own territories? 

Japanese governments both current Administration by JDP and former one by LDP took their position that at least those four in the southernmost should be returned because they had been Japan's own territories in history until the time of Soviet's invasion.
They have been too nice to the burglar who has kept occupying a room in our upstairs for 65 years.

2010.11.13 紅茶

【Mariage Frere Yuzu Temple】

スイスは他のヨーロッパの国と同じで圧倒的にコーヒー派だ。
レストランやカフェで紅茶を頼むと出てくるティーバッグとお湯の入った容器をみるととても悲しくなる。
スーパーでも大概はティーバッグが多く、デパートに行くと申し訳程度に缶入りの茶葉も売っているが、やはり数が少ない。 赴任後会社ではエスプレッソを日に4,5杯も飲むものだから、さすがに最近は飽きてきた。 そこでオフィスでも飲めるように湯沸かし器を買って試し始めたのだが、思わぬ問題が、、

一番の問題は、大量の油が出てしまうこと。 茶葉そのものにもある程度の油を含んでいるものもあるのだが、それにしても出てくる量が多いし、お茶の香りもなんだか弱い。 バーゼル市内の自宅で同じ茶葉を使って入れてもこんなことにはならないので、問題は水の違いなのだろう。 会社は、バーゼル市内から市電で20分ほど行ったところにあるのだが、場所的には田舎である。 聞けばジュラ山脈からの地下水を使っているということで、非常にミネラルが多いのだそうだ。 おそらくカルシウムだと思うが、これと茶葉の中のポリフェノールなどとが作用して大量の油を出すらしい。 Britaで濾過した水でもやっぱり駄目だった。

同僚に聞いてみると、やはりそういうことがあるそうで、あまり興ざめにならないようにガラスではなく、陶器のポットを使うとか、ミルクを入れて目立たなくするとか工夫するそうだ。 私も会社で飲むときはクリームをなるべく使うようにしようと思う。

写真は自宅用に買ったもの。 バーゼル市内のデパートGlobusで買ったマリアージュ・フレールのYuzu Temple。 緑茶系はやっぱり気分が落ち着く。 

ポットの向こうにある緑の物体は、ほうれん草のクリーム。 日本では見たことが無かったが、こちらでは冷凍食品で売っている。 ブロック状に冷凍されているほうれん草を電子レンジであったためるだけで、ほのかに塩味が付いているのとクリームで溶いているのでまろやか。 実は最初に買ったときはなんだか分からなかったのだが、試しに焼いたフランスパンにつけて食べてみるとこれが美味しい。 本当は料理に使うんだろうけども、あまり凝ったものは作れないし、以来この食べ方でずっと通している。

2010年11月6日土曜日

2010.11.5 Japan's dispute with Russia over Northern Territories

A friend of mine here told me that he read a newspaper article titled 'Japan is angry'
It was about the story on Japan's territorial dispute with Russia over territorial islands in northern sea.
Yes, we are angry and there is a good reason for us to be.
The dispute is already 65 years old.  It has started when the World War II ended in 1945.

On August 9, 1945, then Soviet Union violated the Japan-Soviet Neutrality Pact and entered the war against Japan.  Until then, Japan and Soviet were not at war.   Soviet stepped in only five days before Japan accepted Potsdam Declaration (Aug. 14) and surrendered to the Allied Forces.   In short, Soviet jumped on the bandwagon and looted at a fire.

On Aug. 18, Soviet came down to occupy Kurile Islands that Russian Empire had ceded to Japan in 1875 in trade-off with entire Sakhalin island.  (Later, after the Russian Empire lost Russo-Japan war, South of Sakhalin island, too, was ceded to Japan.)  In a sense, you can imagine that a thief who broke into a burning house, knowing there is his old property he had lost 70 years before and as he saw the master of the house was so weak, unable to resist, then maybe it was a good idea to take the chance and take them all back on hand without due process.

However, the hungry bear was never satisfied with this.  On August 28, Russians stretched their arms to the Japan's traditional territorial islands; Habomai, Shikotan, Etorofu and Kunashiri.   In the previous history, those four islands had never been under control of Russians.  They had been always Japanese territories and at the time of the Soviet invasion, some 17,000 Japanese actually lived there.  Japanese army could no longer resist (in chaos and aftermath of the Pacific War that devastated the entire country), the islanders evacuated and the invasion completed bloodless by Sep. 4.

In 1956, the Soviet Premier Bulganin agreed, in the Japan-Soviet Declaration, the Soviet would hand over Habomai and Shikotan only but even this promise was never kept.

【Historical maps】

1855 Shimoda Treaty
1875 Trade off agreement





1945 Soviet Invasion
1905 Portsmouth Peace Treaty
after Russo-Japan War